神護寺の創建は不明な点も多いが、神願寺と高雄山寺が824(天長元)年に合併し「神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)」と改称。上二字をとって神護寺が寺名になったと伝わる。
神願寺は和気清麻呂(わけのきよまろ)が出身地の河内に建てた寺とされ、その創建は奈良時代末期におこなった宇佐八幡宮信託事件に関連する。当時、称徳天皇の寵愛を受け、絶大な権力を持っていた道鏡を「天皇の位につければ天下は泰平になる」との神託があったと伝えた。天皇はこの神託を確かめるべく、和気清麻呂を宇佐八幡宮に派遣し、この神託が虚偽であることを確認し、道鏡の野望を阻止した。
この際に八幡大神より「一切経を写書し、仏像を造り、最勝王経一万巻を読経して一伽藍を建てたならば、国家に万代にわたって安穏にしよう」と告げられたことに神願寺は由来する。
また、高雄山寺の創建は不明で、和気氏の氏寺とされ、802(延暦21)年に最澄が清麻呂の長男である和気広世の招きで法華会を修し、南都の高僧に天台の教法を説いている。このことを契機に最澄は入唐求法の還学僧に選ばれている。
神護寺は最澄と空海にとても縁が深い寺である。唐から帰朝した空海は、809(大同4)年、高雄山寺に入山、ほぼ14年間この寺を中心に活躍、その間に最澄や弟子の泰範(たいはん)らに金剛界灌頂と胎蔵界灌頂をおこなった。しかし二人の交流は最澄がもっとも信頼していた泰範が最澄のもとを離れ、空海に師従したため、空海と最澄は決別したという。
その後、空海の跡をついだ高弟信済(しんぜい)は伽藍をととのえ、真言宗寺院としての基礎をかため、国家鎮護の道場となる。しかし、1149(久安5年)の火災で金堂、真言堂など諸堂を失い、さらに鳥羽法皇の怒りに触れ、神護寺は一気に衰退していく。
そのように荒廃した神護寺を救うべく登場したのが文覚上人であった。俗名を遠藤森遠といい、同僚の妻、袈裟御前に横恋慕し、誤って殺してしまい、発心して出家したと伝わる人物である。
文覚上人はまず、1168(仁安3)年に寺内に草庵を建て、のちに「四十五箇条起請文」を作成して、後白河法皇に神護寺の本格的な再建を迫る。一時はかえって法皇の怒りを買い流罪になるが、源頼朝の援助をえて、神護寺は従時以上の盛観をみるまでになった。その後、応仁の乱でいったん荒廃するが、豊臣秀吉や徳川家康の寺領寄進などにより、いま私たちが目前にする建物の多くが再建される。
明治に入り神仏分離によって寺領は没収、境内地さえも上地されて官有地となった。また和気清麻呂を祀っていた護王神社が京都御所の西隣に遷座してしまう。衰退した神護寺だが、昭和に入り豪商山口玄洞や内貴清兵衛、平井仁兵衛らによって整備がされ、現在に至る。
神護寺は京都市内の北西の高雄にあり、京都駅からは車で50分ほどかかります。高雄山という山の中にある寺院ですので、市内の寺院にくらべてアクセスがあまりよくありません。また高雄周辺は京都屈指の紅葉の名所ですので紅葉の時期はたくさんの人で賑わいます。京都市内の観光であれば公共機関がおすすめですが、神護寺に限っては自家用車での観光をおすすめします。また近くには世界遺産の高山寺がありますのであわせてお訪ねください。
JR京都駅からはJRバス「高雄・京北線」に乗り、50分ほどで「山城高雄」で下車。バス停より神護寺までは徒歩で約20分ほどかかります。
阪急電鉄をご利用の場合は「烏丸駅」または「大宮」で下車ください。いずれも京都市営バス8号系統に乗り、45分ほどで「高雄」下車。バス停より神護寺までは徒歩で約20分ほどかかります。
自家用車をご利用の場合は、近くに民間駐車場があります。紅葉の時期は周山街道は大変混み合います。