建仁寺は1202(建仁2)年、栄西が源頼家から六波羅探題に接する地を与えられ建立した寺で、京都でもっとも古い禅寺である。中国百丈山を模した伽藍の竣工は3年後で、竣工と同時に官寺として認められた。
建仁寺の開祖である栄西は備中国(岡山県)の吉備津神社の神官の子として生まれ、吉備津神社に近い安養寺の静心(じょうしん)という僧に学んだあと延暦寺で修行を積んだ。その後、二度にわたり入宋した栄西は天台山万年寺の虚庵懐敞(きあんえしょう)に禅を学び、1191(建久2)年に臨済宗を広める許可を得て帰国した。
創建当初の建仁寺は禅宗布教に逆風が吹いており、台・密・禅の三宗兼修の寺として朝廷から創建が許可された。栄西の死後もしばらくは三宗兼修が続いたが、1246(寛元4)年に中国南宋出身の蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が幕府執権北条時頼の依頼で来日。鎌倉に建長寺をたてたあとに建仁寺にはいり、禅専修の寺とした。
1552(天文21)年には建仁寺は大火をあびて伽藍の大半を焼失する。再建に苦心していた建仁寺は豊臣秀吉との連携を強め、秀吉は寺領821石を寄進し、秀吉の使僧の安国寺恵瓊(あんこくじえけい)は安芸(広島県)の安国寺より方丈を移築、建仁寺の方丈とした。また恵瓊は東福寺の仏殿を移築して建仁寺の仏殿とした。
しかしながら関ヶ原の合戦によって、毛利氏は所有のほとんどを失い恵瓊は処刑される。南禅寺の崇伝は徳川幕府の威勢を背に臨済宗の僧録(僧侶の登録・住持の任免などの人事を統括した役職)となり、建仁寺は崇伝の厳しい監督のもとで長い江戸時代をすごすことになる。明治維新までは約5万4千坪の広大さを誇っていたが、上知令によって半分以下に減らされて現在に至る。
建仁寺は京都駅の北東方にあり、京都の中心地にあります。お茶屋街など祇園歓楽街の中心を貫く花見小路通りの突き当りが建仁寺の裏門になっており、とても賑やかな場所にあります。
JR京都駅からは京都市バス100・206系統に乗車し「東山安井」で下車してください。バス停からは徒歩で5分ほどです。バスで観光をする場合は、1日乗車券500円が便利です。
京阪電鉄をご利用の場合は「祇園四条駅」で下車ください。祇園四条駅からは徒歩で7分ほどです。
阪急電鉄をご利用の場合は「河原町駅」で下車ください。河原町駅からは徒歩で10分ほどです。
建仁寺には有料の駐車場があります。30分/200円ですが、拝観の方は1時間無料となります。観光シーズンは混雑が予想されますのでできるだけ公共の交通機関をご利用ください。