室町幕府の最盛期を築いた足利義満の死後、幕府は度重なる飢饉や権力抗争によって衰退の一途をたどる。義満のあとを引き継いだ第四代将軍の義持(よしもち)は九歳で元服し、斯波義将の支えにより権威は維持したが、第五将軍の義量(よしかず)はわずか十九歳で死去。暴君で知られる第六代将軍の義教(よしのり)は、1441年(嘉吉元年)に嘉吉(かきつ)の変で播磨の赤松氏に暗殺された。
赤松氏討伐のため、山名宗全と管領の細川持之が軍勢をまとめて進発したが、京の警備が手薄になった隙に土民が隆起。史上初の「徳政令」が発布された。その後、義教の長子である義勝が第七代将軍となるがわずか十歳で赤痢で病死。銀閣寺を造営した足利義政が第八代将軍なったのは1449年(文安6年)、十三歳の時であった。
足利義政が将軍になった頃にはすでに幕府の権威は弱体化していた。土一揆が幕政を混乱させ、追い討ちをかけて旱魃(かんばつ)と長雨が交互に続き、飢餓による餓死者が都には溢れていた。そんな中、10年にわたる応仁の乱が始まる。応仁の乱は建前上は義政の後継人をめぐった争いであるが、事実上は細川氏と畠山氏の権力抗争であった。
戦乱は10年間続き、火災により京の都は焼け野原と化した。1473年(文明5年)、義政は将軍職を辞すことを決意。義尚が第九代将軍を継いだ。義政は戦乱の中も戦い止めることもせず、酒宴をひらいていたと云われ、失政つづきの無能な将軍として知られる。
そんな応仁の乱によって荒廃した京都に足利義政は隠居所として1482年(文明14年)、焼けたまま放置されていた浄土寺跡に東山殿の造営を始めた。費用は朝倉氏景、赤松正則、土岐成頼、吉川経基らが諸国から臨時の租税を徴収しあてた。1483年には常御所が完成。1485年には祝髪して法名を喜山道慶とした。しかしながら1489年(長享3年)に義尚が近江の六角高頼を討伐の陣中で亡くなる。翌年1490年、義政も持病の中風が再発して観音堂の完成を見ずに五十五歳で息をひきとった。
その後、義政の遺命により鹿苑寺(金閣寺)と同じく夢窓疎石を勧請開山として東山慈照院とされた。後に慈照寺と改名される。その後、三好長慶との合戦などにより荒廃するが、1615年(元和元年)に宮城丹波守豊盛によって大改修が行なわれ、旧観を取り戻した。
義政は失政つづきの無能な将軍として知られる一方で、文化人としては卓越した才能があった。学問、芸術に優れ、趣味は漢文、和歌、連歌、絵画、能楽をはじめ茶の湯に及んだ、なかでも建築、作庭には大乱のなかの民衆の飢餓にあっても格別な関心と美意識を発揮して断行したほどであった。京都が戦火に見舞われたことで多くの文化人・知識人が地方の守護大名のもとへ身を寄せたため、文化の地方伝播が進行した。義政が築き上げた美の世界は東山文化を開花させ、日本のわび・さびの文化を形づくった。
銀閣寺は市内の北東にあり、京都駅からはバスで1時間ほどの距離にあります。銀閣寺の周辺には「哲学の道」があり、哲学の道をのんびりと散策しながら法然院、安楽寺、大豊神社、永観堂禅林寺、南禅寺まで、たくさんの名所を楽しめます。周辺には電車や地下鉄がありませんので市バスがおすすめですが、観光シーズンはとても混み合いますので、地下鉄との併用をおすすめします。
京都駅から地下鉄烏丸線「国際会館」行きに乗車し「今出川」で下車します。烏丸今出川から市バスに乗換え「銀閣寺道」で下車します。烏丸今出川から銀閣寺道へは203号系統、102号系統があります。所要時間は地下鉄とバスで30分ぐらい。料金は大人490円になります。地下鉄とバスを併用して観光をする場合は、一日乗車券が、大人1,200円で購入できますのでお得です。
銀閣寺以外にもいろいろな観光スポットをめぐりたい場合は、市バスの洛バス100号系統がおすすめです。京都駅からは三十三間堂、清水寺、祇園、平安神宮を経由して銀閣寺へ向かいます。また金閣寺と銀閣寺にいきたい場合は102号系統をご利用ください。京都駅から地下鉄地下鉄烏丸線で北大路バスターミナルまで移動し、バスターミナルから金閣寺、出町柳駅、銀閣寺と向かいます。
バスのみで観光をする場合は、1日乗車券500円が便利です。ただし紅葉シーズンやGWは大変混み合いますので観光ピーク時は電車との併用や別ルートをおすすめします。特に清水寺、祇園周辺は大変な渋滞になりますので注意が必要です。
銀閣寺には駐車場が隣接してあります。ただし収容台数が40台ほどですので、すぐに満車になってしまいます。近隣にもコインパーキングがありますが、なかなか空きを探すのが困難です。あまり車での観光はおすすめできません。