仁和寺は886(仁和2)年、光孝天皇の勅願によって、大内山の麓に西山御願寺が建立されたことに始まります。しかしながら光孝帝は翌年没し、その遺志をついだ宇多天皇によって888(仁和4)年に造営は完成し、空海の弟子真然が導師となって落慶供養を営んだ。寺名は年号をとって仁和寺とされました。
宇多天皇は藤原氏をおさえ菅原道真を重用、これまでの政治を刷新し、寛平の治(かんぴょうのち)と称される親政をおこなった帝で、子の醍醐天皇へ31歳で譲位。899(昌泰2)年には仁和寺で出家し第一世となった。さらに904(延喜4)年に宇多天皇が法務をおこなう僧坊を建て移住した。法皇の住まいとする僧坊を、御室(おむろ)といい、それが当地の地名となった。
第二世に三条天皇第四皇子 師明(もろあきら)親王が、第三世に白河天皇第三皇子 覚行(かくぎょう)親王が就任し、つづいて第四世に白河天皇第四皇子が住持となり、その後、明治維新まで皇族が入寺して、仁和寺は門跡寺院として最高位にあった。親王が住待となるたびに伽藍諸堂は充実していったが、武家政治とそれにともなう禅宗の勃興、また応仁の乱の兵火にかかり衰退した。
1467(応仁元)年に始まった応仁の乱では、仁和寺に陣を構えていた西軍に対し、東軍が攻撃を加え、そのため仁和寺は御室をはじめ堂塔はことごとく焼失し、すべて焼け野原と化した。
一面荒地と化した御室一帯が、再建の途についたのは江戸時代になってからであった。1634(寛永11)年、第二十一世の覚深(かくしん)天皇は徳川幕府に再建を願い出て、徳川家光より21万両の寄進を受け、ようやく旧地に伽藍を復興することになった。その再建は慶長年間に建てられた内裏の建て替えを行い、その取り壊された旧殿舎の多くを仁和寺に移築しようとするものであった。
現存の金堂、五重塔など中門からうちの建物のほとんどと二王門はこの時期に造営されたものである。昭和時代に入り、仁和寺は真言宗御室派の総本山となり、1994(平成6)年には古都京都の文化財の1つとしてユネスコの「世界遺産」に登録されました。
仁和寺は京都市内の北西にあり、京都駅からは車で40分ほどのところにあります。周辺には金閣寺や龍安寺があり、観光道路「きぬかけの道」沿いにあります。御室仁和寺駅から嵐電にのると嵐山へのアクセスも可能です。
JRをご利用の場合は、JR京都駅から京都市バスかJRバスのいずれかにご乗車ください。京都市バスの場合は26号系統に乗車、「御室仁和寺」で下車ください。JRバスのご利用の場合は高尾・京北線に乗車、「御室仁和寺」で下車ください。市バスで観光をする場合は500円のバス一日乗車券がお得です。
またJR花園駅からは徒歩で約15分。タクシーで約5分ほどで仁和寺へのアクセスが可能です。
京阪電鉄をご利用の場合は「三条京阪駅」で下車ください。三条京阪駅から京都市バス10・59系統に乗車、「御室仁和寺」で下車ください。
阪急電鉄をご利用の場合は「大宮駅」か「西院駅」で下車ください。いずれも京都市バス26系統に乗車、「御室仁和寺」で下車ください。
仁和寺には東側に有料の駐車場(普通車120台/500円)がありますが、さくら祭り期間中は大変混雑しますので、混雑時は公共交通機関をご利用ください。