平安京造営の際、都の中心には朱雀大路が大内裏に通じるように引かれ、南端に羅城門がおかれた。その門の東西に東寺と西寺の官寺が一寺ずつ建てられた。東寺と西寺の建立は平安遷都の翌々年の796(延暦15)年、東寺は大納納言 藤原伊勢人、西寺は坂上田村麻呂によって造営される。
当時、平安京内の寺院の建立は東寺と西寺以外には許されず、平安京にはこの二寺しか存在しなかった。羅城門や西寺など平安京の偉容を偲ばせるものは残っていないが、東寺は唯一残る平安京の遺構である。
東寺が現在の姿になるのは弘法大師空海と出会ってからになる。空海は823(弘仁14)年、嵯峨天皇の命により造営なかばの東寺に入り、東寺を真言密教の道場とした。平安遷都から29年目、空海は50才のときであった。当時の入った空海は講堂、五重塔(883年完成)、私立学校の綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を建て、淳和天皇から「教王護国寺」の勅額を賜り、それがこの寺の正式名称となった。
なお、今は跡形もない西寺は、守敏(しゅびん)大徳という空海よりも上席の僧にあたえられて同じく鎮護国家の官寺となったが、たびたびの火災で焼失して、今は国の史跡として「西寺跡」がのこるだけである。空海と守敏が神泉苑において請雨法をきそい、空海が圧勝したという話もある。
空海の入定後、東寺はしだいに衰退して伽藍は荒廃し、1055(天喜3)年には五重塔を落雷にて失う。1189(文治5)年には高雄の神護寺を再興した文覚上人が、後白河法皇の院宣、源頼朝の援助により、金堂、講堂、五重塔、南大門や諸仏を修復するが、頼朝の死と文覚の失脚で、その建設は中断する。
1233(天福元)年、仏師の康勝が弘法大師像を新たにして大師堂(御影堂)に安置、また後白河法皇の皇女宣陽門院が帰依して荘園の寄進をおこない、当時の経済基盤がじょじょにととのってくる。後宇多法皇も1313(正和2)年には四ヶ所の所領地をあたえ、東寺の教学拡大をはかった。
その後、足利尊氏が東寺に本陣を置くなど室町期には伽藍充実をみた。しかし1486(文明18)年の土一揆(徳政一揆)で、境内に立てこもった一揆勢によって、ほとんどの堂宇が焼き落とされてしまう。
織田信長は入京の際に東寺を宿所としたことから再建を支援し、それは秀吉や家康にもうけつがれた。途中、1596(文禄5)年に大地震にみまわれ、諸堂が大破するが、豊臣秀吉が金堂を再建。秀吉の北政所が講堂修復などに尽くして、寺域の諸堂はよみがえっていった。ただ、1635(寛永12)年には五重塔が4度目の焼失にあう。しかしこれは徳川家光の発願によって1644(寛永21)年に再建され、今の私たちが見る姿になった。
東寺は京都駅の西南にあり徒歩でも15分ほどで行けます。近くには京都水族館がありますが、周辺にはあまり歩いて行ける観光名所はありません。東寺には大きな駐車場もありますので、自家用車でのアクセスも可能です。
JRをご利用の場合は、京都駅八条口から京都市バス78・19・16系統のいずれかに乗車、「東寺南門前」で下車します。バスで観光をする場合は500円のバス一日乗車券がお得です。
京阪電鉄をご利用の場合は「祇園四条駅」で下車ください。祇園四条駅から京都市バス207系統に乗車、「東寺東門前」で下車ください。東福寺までは徒歩で3分ほどです。
阪急電鉄をご利用の場合は「四条河原町」か「四条大宮」で下車ください。四条河原町からは京都市バス207系統に乗り換え「東寺東門前」で下車ください。東福寺までは徒歩で3分ほどです。
四条大宮からは京都市バス18・71・207系統のいずれかに乗車し、同じく「東寺東門前」で下車ください。
東寺には有料の駐車場があります。料金は600円(2時間以降は1時間ごとに+300円となります。)