六波羅蜜寺のはじまりは阿弥陀聖(あみだひじり)、市聖(いちのひじり)とよばれた、空也上人が951(天暦5)年に建てた西光寺に由来する。 空也は醍醐天皇の第二皇子ともいわれており出生は不明な点が多い。若い頃から優婆塞(うばそく)として諸国をめぐって苦修練行をしながら、道を直し、川に橋を架け、野に捨てられた屍があれば阿弥陀仏を唱えて供養するという生活をしていたらしい。948(天暦2)年に延暦寺で出家し、光勝という名を与えられたが「空也」と自ら名乗り生涯かわることはなかった。
951(天暦5)年の京都の疫病の際には、打ち捨てられた死屍があふれる中、悪疫退散を祈願して十一面観世音菩薩像を造り、それを荷車に乗せて市中をめぐった。また青竹を八葉の薄片に割って点てた茶に、梅干と茗荷(みょうが)を加えて、天皇をはじめ病人に飲ませ、疫病を終息させたという。これが正月に参詣者に授与される皇服茶(おうぶくちゃ)の始まりである。
空也上人は鳥辺野(葬送地)の入口にあたる六原の地に十一面観世音菩薩を本尊として寺の建立を発願し、村上天皇の勅許を得たものの、972(天禄3)年に遷化した。空也上人の遷化から5年後、弟子の中信がこれまで西光寺と称していた上人発願の寺を「六波羅蜜寺」と改め、天台別院とした。寺名は「六原」の地名をとってそれを「六波羅」と表記し、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧という六つの徳目を指す「六波羅蜜」に重ねた名前である。また六波羅の名は平清盛を「六波羅入道」とよんだこと、源頼朝が「六波羅探題」をおいたことでも知られている。
1183(寿永2)年の平家都落ちの際には兵火を受け、本堂以外は焼失してしまう。その後も源頼朝、足利義詮(よしあきら)の再興、そしてまた焼失をくりかえし、豊臣秀吉の大仏建立の余材による修造、徳川幕府からの寺領の寄進などにより今よりも広い寺域をもっていた。しかし明治の初めの区画整理の際に、六原小学校に土地を譲り、現在にいたっている。
智積院は京都駅の東方にあり、北方には祇園、建仁寺、東方には清水寺と観光名所がたくさんあるエリアにあります。繁華街から少しはずれた場所にあり道が狭く、車でのアクセスは不向きですのでできるだけ公共交通機関でお訪ねください。
JR京都駅からは100・206系統に乗車し「清水道」で下車してください。また京都駅八条口アバンティ前からは202・207系統を利用できます。同じく「清水道」で下車。徒歩で約5分ほどで六波羅蜜寺です。バスで観光をする場合は、1日乗車券500円が便利です。
京阪電鉄をご利用の場合は「清水五条駅」で下車ください。清水五条駅から徒歩で7分ほどで六波羅蜜寺です。
阪急電鉄をご利用の場合は「河原町駅」で下車ください。「河原町駅」からは京都市バス207系統に乗車し「清水道」で下車。徒歩で約5分ほどで六波羅蜜寺です。「河原町駅」から徒歩の場合は約20分ほどかかります。
六波羅蜜寺には駐車場がありません。近くにコインパーキングなど民間の駐車場はありますが、車でのアクセスは不向きな場所です。