三十三間堂は988年(永延2年)に後白河法皇が造営した壮大な御所・法住寺殿(ほうじゅうじどの)に始まる。その際に法住寺殿の守護神として紀州熊野本宮と比叡山延暦寺の鎮守社・日吉山王のご神体を勧請して新日吉神社と今熊野神社を創建した。このとき比叡山妙法院昌雲(しょううん)を検校職に任命したことが現在も妙法院・三十三間堂と一体で呼ばれる理由である。
三十三間堂は蓮華王院(れんげおういん)の本堂にあたる建物で、蓮華王院は他にも五重塔、宝蔵、阿弥陀堂など多数の堂塔を持つ寺院の総称である。三十三間堂の落慶は1164年(長寛2年)。後白河法皇が願主となり、時の権力者であった平清盛が知行国の備前国(岡山県)の税収を惜しげもなく投じて建立された。三十三間堂の名は本堂内陣の柱間が三十三間あることに由来する。
ちなみに創建以前から現在の左京区岡崎には平清盛の父、忠盛が建てた得長寿院(とくちょうじゅいん)と呼ばれる三十三間堂の同じような寺院があり、創建当時は北と南に三十三間堂が並行していた。得長寿院は聖観音千体と丈六の聖観音であったが、三十三間堂はすべて千手観音である。その後、得長寿院は1185年(元暦2年)に地震により倒壊した。
1249年(建長元年)には火災により三十三間堂は全焼する。この時、寺僧の努力により千体千手観音のうち、百五十六体と二十八部衆は救出された。すぐに再建されて1266年(文永3年)に旧観を取り戻す。その後もばさら大名で有名な佐々木道誉(ささきどうよ)による妙法院の焼き討ち。十年も続き京都を焦土と化した応仁の乱でも三十三間堂は難を逃れている。それ以降も幕末の禁門の変の大火、昭和の米軍による爆撃と奇跡的に三十三間堂は文永3年の姿を今に残している。
三十三間堂は京都駅の東方にあり、京都駅から徒歩で20分ほどの距離にあります。道を挟んで京都国立博物館があり、博物館の北に豊臣秀吉をお祀りする豊国神社があります。三十三間堂の南には皇室ゆかりの泉涌寺。さらに南には紅葉で有名な東福寺など周辺にはたくさんの見所があります。
JR京都駅からは徒歩で20分ほどの距離ですが、交通量が多い通りですので京都市バスの利用をおすすめします。100・206・208系統に乗車し10分ほどで「博物館三十三間堂前」で下車してください。バスで観光をする場合は、1日乗車券500円が便利です。
京阪電鉄をご利用の場合は「七条駅」で下車ください。七条駅から徒歩で7分ほどで三十三間堂です。
阪急電鉄をご利用の場合は「河原町駅」か「大宮駅」で下車ください。河原町駅下車の場合は京阪電車に乗換え祇園四条駅から大阪方面行きにて七条駅下車。徒歩で7分ほどで三十三間堂です。市バスの場合は大宮駅からは京都市バス206系統「水族館・京都駅ゆき」を利用し「博物館三十三間堂前」で下車してください。
三十三間堂には50台ほどの駐車場があります。また京都国立博物館にも50台ほどの駐車場がありますので、比較的車で行きやすい場所にあります。