智積院の正式名称は五百仏山根来寺(いおぶつさんねごろじ)智積院といい、当初は紀伊国根来寺山内(和歌山県)に建立された。根来寺は、新義真言の開祖興教大師(こうぎょうだいし)覚鑁上人(かくばん)によって開山された。
覚鑁は、平安時代末期、真言教理に浄土思想をとりいれ、真言教学を再興し、さらに、高野山に大伝法院、密厳院を建立して高野山を復興した。しかし、伝統を重視する金剛峯寺方と対立する。1140(保延6)年、金剛峯寺方の攻撃により、覚鑁は根来の豊福寺に逃れ、この地に一乗山円明寺と神宮寺を建立し拠点としたのが、根来寺の起こりである。
1336(建武3)年には、根来寺は南北朝の抗争の際、北朝に足利尊氏の支持を鮮明にしたことから、高野山にい押領されていた大伝法院領を尊氏から安堵される。さらに尊氏の護持僧である醍醐三宝院門跡賢俊(けんしゅん)が根来寺大伝法院座主を兼任している。これを期に根来寺は醍醐寺を通して室町幕府に保護され、隆盛の途を歩むことになる。
1584(天正12)年には豊臣秀吉と徳川家康・織田信雄が対峙した小牧・長久手の戦いでは家康に加担する。その頃、根来寺山内は財政にも恵まれ、最新兵器の鉄砲を駆使する軍団となり根来衆と呼ばれていた。しかしながら秀吉は家康と和睦し、秀吉によって根来側の出城はすべて攻略され、智積院の住職であった玄宥(げんゆう)僧正は学侶とともに高野山に逃れた。
玄宥はそれ以後十三年にわたる流寓生活を余儀なくされ苦難の日々を過ごすが、秀吉の死後、家康に京都北野において寺地を与えられ流寓生活に終止符をうつことができた。そして家康が関ヶ原の戦に勝利した後に洛東豊国神社境内の一部を与えられた。これにより玄宥は学侶の指導者の住坊であった根嶺智積院を新義真言の教相本寺としの洛東智積院に再興、ここから智積院の歴史が始まる。
智積院は京都駅の東方にあり、京都駅から徒歩で20分ほどの距離にあります。近くには三十三間堂や京都国立博物館。博物館の北に豊臣秀吉をお祀りする豊国神社があります。さらに南方には皇室ゆかりの泉涌寺。紅葉で有名な東福寺など周辺にはたくさんの見所があります。
JR京都駅からは徒歩で20分ほどの距離ですが、交通量が多い通りですので京都市バスの利用をおすすめします。100・206・208系統に乗車し10分ほどで「東山七条」で下車してください。バスで観光をする場合は、1日乗車券500円が便利です。
京阪電鉄をご利用の場合は「七条駅」で下車ください。七条駅から徒歩で10分ほどで智積院です。
阪急電鉄をご利用の場合は「河原町駅」か「大宮駅」で下車ください。河原町駅下車の場合は京阪電車に乗換え、祇園四条駅から大阪方面行きにて七条駅下車。徒歩で10分ほどで智積院です。市バスの場合は大宮駅からは京都市バス206系統「水族館・京都駅ゆき」を利用し「東山七条」で下車してください。
智積院には宿泊・参拝の方に限り無料の駐車場があります。また京都国立博物館にも50台ほどの駐車場がありますので、比較的車で行きやすい場所にあります。