現在の東福寺の地は元々は延長年間(923~31年)に藤原忠平によって創建された法性寺(ほっしょうじ)という藤原氏の氏寺であった。法性寺は藤原家の崇拝によって300年余り栄え、摂関関白九条道家の時代に東福寺となった。
創建は1255年(建長7年)、実に19年の長い時間をかけて完成しました。旧仏教側との摩擦を避けるために初めは天台・真言・禅の三宗兼学の道場として始まる。東福寺の名は、東大寺の規模の偉容さと、興福寺のすぐれた教学から一字ずつをとって命名されたといいます。
開山を円爾弁円(えんにべんえん)、後の聖一国師とし、創建当時の仏殿には高さ15mの本尊釈迦如来像、左右にはその半分の大きさの観音・弥勒像が侍っていたとされ、新大仏寺と呼ばれていました。現在の東大寺の大仏とほぼ同じ大きさの巨大な仏像でした。
開山の円爾弁円は花園天皇より、日本禅僧最初の賜号「聖一国師」を贈られた名僧でした。1202年(建仁2年)に現在の静岡県で生まれ、18歳で三井園城寺の学徒として天台の教学を究め、栄西の高弟行勇・栄朝について禅戒を受けました。その後1235年(嘉禎元年) 宋に渡り、在宋6年、杭州径山の無準の法を嗣ぎ帰朝しました。
建仁寺の再建。岡崎尊勝寺、大阪四天王寺、奈良東大寺などの大寺院を監閲し復興にも尽力し、更には延暦寺の天台座主慈源や東大寺の円照らを教導したことでも有名です。宋より帰朝した際には一千余りの典籍を持ち帰り、製麺の技術や静岡茶の原種を伝えたことでも知られています。
その後の東福寺は鎌倉時代末期の1319年(元応元年)、1334年(建武元年)、1336年(建武3年)に相次ぐ火災により大部分を焼失。応仁の乱では山名軍が乱入し本坊を除いて塔頭の大半を兵火により失いました。さらに1534年(天文3年)には京極高次の大兵が陣営し、宝器を盗み、仏像を焼くなどの被害にあった。ちなみに国宝に指定されている三門は1394~1428年(応永年間)の建築で、奇跡的に焼失から間逃れている。
東福寺の再建は1585年(天正13年)、豊臣秀吉から寺領千八百万石余りを寄進され、惟杏永哲(いあんえいてつ)や安国寺恵瓊(あんこくじえけい)の尽力によって伽藍の補修が行われた。通天橋も1597年(慶長2年)に秀吉によって架け替えられました。その後も徳川家康や家光によって保護修理がされています。
明治に入り塔頭七十余りは合廃寺の制令により半数以上を失い、旧寺領十二万余坪は六万五千坪に半減しました。また1881年(明治14年)には方丈より出火。仏殿、法堂、庫裏、西茶堂を焼失しました。1934年(昭和9年)に仏殿兼法堂は再建され、今でも焼け残った仏像の手が再建された本堂の片隅に安置されています。
東福寺は市内の東方にあり、京都駅からはバスで20分ほどの距離にあります。東福寺をさらに東へ行くと、皇室ゆかりの泉涌寺があります。東福寺の境内は塔頭も広く、バスを下車してから意外と歩きますので、歩きやすい服装でお訪ねください。東福寺のアクセスは京阪電車かJRがおすすめです。京阪電車は同じ路線で伏見稲荷や三十三間堂、祇園など人気の観光スポットへアクセスができます。
JRをご利用の場合はJR京都駅から奈良線に乗り「東福寺駅」で下車します。東福寺までは徒歩で10分ほどです。京都駅から京都市バスを利用する場合は208系統「京都駅行き」に乗り「東福寺」で下車します。バス停からは徒歩で10分ほどです。バスでの観光は1日乗車券500円が便利です。1日乗車券は京都市バスも京都バスどちらも利用できます。
阪急電鉄をご利用の場合は「四条河原町」で下車ください。四条河原町からは「祇園四条」から京阪電車に乗り換え「東福寺駅」下車。東福寺までは徒歩で10分ほどです。
京阪電鉄をご利用の場合は「東福寺駅」で下車ください。東福寺までは徒歩で10分ほどです。
東福寺には無料の駐車場が30台ほどありますが、紅葉の時期は閉鎖されます。また混雑時には満車の場合もありますので、できるだけ電車やバスのご利用をおすすめします。