<img src="http://item.kotolog.jp/topic/0.png"> <img src="http://item.kotolog.jp/1/1282-1.jpg"> <h3></h3> <h4></h4> <p></p> <blockquote></blockquote> <a href="#" target="_blank"></a> <ul> <li></li> </ul>
京都の土産といえば、多くの人が頭に思い浮かぶのは「八ッ橋」ではないでしょうか。京都に訪れる観光客の約40%が購入するという長年のロングセラー商品である「八ッ橋」ですが、今日でも新しい発想の新商品がどんどん登場し、ますます目の離せない存在になっています。
八ッ橋は米粉を練って蒸し、三温糖、桂皮末(けいひまつ)芥子の実を混ぜ、薄く延ばして焼いた干菓子のことで、現在よく店頭に並んでいる餡がはさんである「生八ッ橋」は昭和に入って考案された商品です。最近では八ッ橋=生八ッ橋という印象がありますが、年配の方は八ッ橋いえば干菓子のほうを思い浮かべるようです。
八ッ橋の起源ですが、実ははっきりとしたことはわかっておらず、諸説あるようですが、おおまかには「琴」説か「橋」説のどちらかに分かれます。現在、京都八ツ橋商工業協同組合には14の業者が加盟していますが、どちらの説を支持するかで見解が分かれます。また各社の創業については2018年に井筒八ッ橋本舗が聖護院八ツ橋総本店に対して訴訟をおこすなど、古い歴史があるだけにいろいろな意見があるようです。
江戸時代初期に琴の名手で近世箏曲の開祖と称えられる八橋検校ですが、没後も絶えず人々が墓参に訪れていたそうです。そこで検校没4年後の元禄2年に琴のかたちに似せた干菓子を八ッ橋と名づけ黒谷の参道で売ったのがはじまりとされています。現在でも検校の命日である6月12日には墓のある金戒光明寺の常光院や法然院で八ツ橋の業者らの墓参と法要が営まれています。
もうひとつの説は「伊勢物語」の在原業平(ありわら の なりひら)を偲び、「伊勢物語」第九段「かきつばた」の舞台である三河の国の八橋にかけ、八枚橋の板の形に模した菓子を作ったことがはじまりとされています。
八ツ橋が全国的に有名になるのは、明治時代に京都駅で売られるようになってからといいます。明治22年(1889)には本家八ツ橋西尾の十二代目・西尾為治がパリ万博に出品し、銀賞を受賞など海外でも評判を得ました。